ポポーを食べていた
ネイティブアメリカンの人々


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代表的なイメージ
草原のネイティブ

ポポーを食べていたネイティブアメリカンの人々

いわゆるネイティブアメリカン・インディアンには様々な言語と習慣を持った多くの部族がありますが、その中でもポポーを食べ、栽培していた アルゴンキン語派の(アルゴンキアン語部族で、五大湖を中心に、北米東部の大部分に住んでいました。)主な部族をご紹介します。
彼らは平原や山地で暮らし、多くの部族がトウモロコシやドングリを主食とし、ポポー、インゲンマメ、カボチャ、ウリなどを栽培していました。自分たちは自然の一部だと認識し、自然とともに暮らしていました。 ここで、ポポーのおさらい。
ポポーは、明治時代に日本に持ち込まれた北米原産のバンレイシ科の果実です。北米原産ですから、もともとはネイティブアメリカンの果物です。春になると紫の花をつけ、秋になると実を付けます。
以下、Wikipediaより抜粋。

スー
アメリカ合衆国北部中西部に先住するインディアン部族である。その中の最大部族・ダコタ族、ラコタ族、およびナコタ族の総称。勇猛果敢、しばしば白人と戦い、1876年にはカスター将軍の部隊を全滅させたことは、よく知られている。 「スー」という部族名は、他の部族が「ナドウェズ・スー(Nadouessioux)」、つまり「小さな(siu)蛇(nadowe)」と呼んだことに由来する。スー族には多種多様な踊りがあり、精霊への祈りを込めた踊りは日常的に行われた。スー族の集団の踊りは、時計回りに踊るのが作法である。1832年にスー族を訪問した白人画家のジョージ・カトリンは、スー族の踊りの多様さに感じ入って、「彼らの名を“踊るインディアン”と改めたくなったほどだ」と言葉に残している。
スー族最大の儀式は、夏至の頃に行われる自然復活祈願の儀式、「ウィワンヤンク・ワチピ」である。これは「太陽を見つめる踊り」という意味で、「サン・ダンス」と訳される。盛夏の頃に行われる理由として、20世紀の呪い師、ヘンリー・クロウドッグは「チョークチェリーが実り、大地が緑を増し、若い男女が愛に向かう、二本足も四本足も総てが喜びに満ちる時だからだ」と説明している。

ぽぽりん
Nektar Flow Farms

シャイアン
ワイオミング周辺を領域とした「北シャイアン族」と、オクラホマ周辺を領域とした「南シャイアン族」の二大支族に分かれる。現在も同盟関係にあるダコタ・スー族が彼等を「わからぬ言葉を使う人」と呼んだのが訛ってシャイアンと呼ばれるようになった。彼等自身の自称は「我ら同胞」。 現在のワイオミング州からコロラド州までの平原地帯を領域とし、ティピーを使ってバッファローなど野生動物を追う、移動型の狩猟生活を営んでいた。
バッファローが手に入らない時にはウサギなどを狩り、湖沼や川ではマス、カメを捕らえた。保存用のバッファローの肉はペミカンの材料となり、湖沼でとれるワイルドライスは煮物に用いられ、現在でも名物料理として残っている。

チェロキー
「チェロキー」の語源はチョクトー族が交易に用いた単語で、「山(または洞窟)に住むもの」を意味する「Cha-La-Kee」、またはクリーク族の言葉で「判り難い言葉を話す人たち」の意とされる。
16世紀、ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の東部から南東部にかけ、ミシシッピ川流域に住んでいた。

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